世界を救う200人の覚者達 OSHO - 瞑想 - プネー - ベナレス - アルナーチャラ

チベット仏教カギュ派の最高指導者だった先代のカルマパ16世(1981年11月に入寂)は、1972年ヒマラヤのシッキムでインドの覚者として知られるOSHOについて、彼が近い前世で神性の化身としてチベットに転生していることや、その転生での彼の亡骸を黄金で包んだ像が現在でもチベットの神堂の中に保管されていることなどを語っていたらしい。



そして今生ではインドに転生したOSHOは、晩年1987年の講話の中で地球環境の危機に関連して次のような言葉を残している。

『・・・起きているもっとも危険なことのひとつは、二酸化炭素がますます蓄積されていることだ。木々は二酸化炭素を吸収しつづけている。もしこの木々を切り倒したら、あなた方はふたつのものを切り倒していることになる。自分の生命への酸素の供給、そして、二酸化炭素が吸収されてゆく場。これは両刃の剣だ――。』

『私はいまでも、世界に光明を得た人びとが200人いれば、世界を救うことができることを知っている。だが、光明を得た人がわずかひとりでも世界を救うことができるとは、いちども言っていない。それでは荷が重い。光明を得た人がわずかひとりでは、それは担えない。200人が最小限だ。――が、あなた方の成長はあまりにも遅く、あなた方が光明を得る前に世界がなくなってしまう恐れが充分ある。あなた方は自分のすべてのエネルギーを瞑想に、覚醒に注ぎ込んでいない。それは、あなた方がやっている多くのものごとのなかのひとつだ。自分の人生の最優先事項ですらない。私は、それがあなた方の最優先事項になってほしい・・・。』





わたしにはOSHOの語る光明を得るという言葉の定義そのものがはっきりと理解できていないので、この数字を漠然としか理解できていませんが、OSHOにとってそれは物理的に説明ができる人数だったのでしょう。




そしてここで言われている光明を得るという言葉は、OSHOが別の場面でよく語っているような「あなたはすでに光明を得ている」とか「あなたは光明を得ていないという夢を見ているに過ぎない」とか語っているものとは違うような気がするのです。







以前に、女性誌のフルカラーの特集でインド、プーナ(プネー)のOSHOアシュラムが紹介されていて、そこには世界中のセレブたちが訪れていることも紹介されていた。レディー・ガガさんがコンサートでインドを訪れた際のインタビューでもOSHOの本をたくさん読んでいることが語られていますね。





日本の書店ではOSHOの書籍はよく見かけていたので、わたしも何冊か読んだことがあります。




現在はOSHOメディテーションリゾートと呼ばれているプーナのOSHOアシュラムはわたしも訪れたことがある。インドの他のアシュラムと特に違っているのは、このアシュラムでは快適な瞑想のための設備が完璧に整っていたことです。室内はエアコンで温度調整され、出入り口には虫が入らないようエアカーテンも完備されていてインドにもこういうアシュラムがあるのだなとかなりのカルチャーショックをうけました。




OSHOの霊廟だったサマーディホールは特に美しい空間で、ここでは一時間ずつの瞑想が一日数回行われていて、この瞑想への参加はアシュラムの入場パスの料金に含まれています。ホール内は全面ガラス張りで静寂に包まれていて、外には滝があり水が流れていました。





OSHO自身は高級車のロールスロイスに乗り、腕にはピアジェの時計をしたりしていたらしいですが、いわゆるブランド品などには興味があるわけでもなく、ただそれらを方便として利用したにすぎない。



しかしながら観ている側は、それらを簡単に手放してゆくその様に魅力を感じ、


なぜ、手放すことができる?と、それを知りたかったのだろうと思う。なぜなら自分自身もそうありたいと願ったから。






物理的に見えるブランド品よりもOSHO自身に内在していた輝きを放つ何かを一生を通じて自分自身に求めていく事の方が、より大切で価値あるものなのだと教えてもらったような気もする。





クンダリーニの覚醒、エンライトメント、光明に至る道。





覚醒した意識、覚醒者の放つ光輝、かれらは人を引き付ける。わたしはOSHOに直接会ったことがないがきっと彼にもそういった魅力があったのだと思う。







覚者たちはその光輝が潜在的にあなた自身の内にもあるのだと説いた。







ダライラマ14世は1983年のインタビューでOSHOについて「人類が意識の発達においての困難な段階を克服するのを助けるために、あらゆる可能性に働きかけている、光明を得たマスターだ」と語っていたそう。


カルマパ16世もOSHOについて「インドにおける仏陀以来の最大の神性の化身であり生きているブッダ(覚者)である・・・」と語っていたらしい。




わたしも会ってみたかった、OSHOが生きていたころのプーナはエネルギー的にもすごかったのだろうと思う。




ダライラマ14世がOSHOのアシュラムを訪れたのは1994年、OSHOはすでに肉体を離れていた。




わたしが初めてプーナを訪れたのはその三年後、アシュラムではフルーツのパパイヤが美味しく沢山食べた、ジンジャーの効いたアシュラムのチャイも大好きだった。




調理している人は使い捨ての手袋をしていて、インドでは珍しく衛生面もきちんと管理されているようだった。





気分転換にアシュラムの外、歩いて数分のところにあるブルーダイヤモンド・ホテルで食事をしたときは、インドのプリン、クリームキャラメルが美味しくて、何個も食べてしまった。





プーナでの滞在中には、タクシーでアウランガバード近郊にあるエローラやアジャンタの遺跡も訪れた。






この時期のインド旅では約2か月をかけ、ブッダガヤ、ラージキル、サルナートなど仏陀の聖地の他、カルカッタのラーマクリシュナ、アルナーチャラのラマナ・マハルシ、プッタパルティのサイババのアシュラムなどにも滞在した。

そして、その中で三週間と最も滞在期間が長かったのが、山自体が他の聖地では感じえないほどの光輝を放っているアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライだった。




ベナレスではゴールデンテンプル(ヴィシュワナート寺院)が良かった。



泊まった宿はヨギ・ロッジ。







何だか懐かしすぎてきた。。。









導師と呼ばれるような覚者たちが人々を光明に導いてきた時期もある。でもわたしは、

パワースポットや聖地も人類の覚醒を手伝ってくれるように思う、聖地を中心に地球自身のエネルギーが顕著に目覚めてきている今の時期は特に。






ベナレスやアルナーチャラのようなインドの聖地を訪れると全身に気が漲り、肩の荷が降りるような気がする。



そのホッとする感じはつらいものではない。



意識が拡大、覚醒し、後の人生を生き易くしてくれたように思う。









なつかしくていろんなことを書いてしまったが、



わたし自身は



今という時間を生きている。






そして現在の地球には無常の風が吹いている。ただこの風の中に可能性や



新しい息吹、



今度こそは間違わないぞという決意のようなものが感じられる。





失われた30年、うまくいかなかったものがもう一度試されるような気がする。






そして、それは私たち地球人類の集合意識にかかっている。






OSHOは200人が光明を得ることで地球を救えると語りました・・・、

『私がよく、世界は駆け足で袋小路に向かっている、と話していたのは事実だ。そのわけは、実際に世界が駆け足で終末に向かっているからだ。だが、以前にも駆け足で終末に向かっていた。いま私は、このことをあなた方の意識のなかに完全に強調しておきたい。それであなた方は、自分の変容を先に延ばすのをやめるからだ。

人間のマインドはあまりにも愚かで、少しでも先に延ばせる見込みがあれば、明日に延ばしてしまう。先に進む道がどこにもなく、180度の完全な方向転換をしなければならない袋小路にぶつからないかぎり――。

だが、世界のものごとはあなたの目には見えない。あなたが眠りつづけている間に世界は死んでしまうかもしれない。明日には世界はないかもしれないことを真剣に受け止めること、それがいますぐ必要だ。自分の覚醒をおいて他に、時間を無駄にする暇はない。』

『あなた方の目覚めが途方もなく大切だ。これほど大切だったことはこれまで一度もない――イエスのときも、ゴータマ・ブッダのときも時間が充分あったからだ。時間は尽きた。私たちは時間の最後のところにいる。 』

『もし自分の全エネルギーを変容に注ぎ込んだら、地球の破滅もあなたの破滅にはならない。もし意識して死ぬことができたら、より高い生、永遠の生、神性を帯びた生への鍵を見つけたことになる。』
(The Hidden Splendor, #14 by OSHO 1987)




プネー、1989年当時のOSHO (photo from oshorajneesh.com)
プネー、1989年当時のOSHO (photo from oshorajneesh.com)

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